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blog:hidden

30代アダルトチルドレン。世代間連鎖の渦中。自由に書き散らすブログ

人と距離が近くなるとうまくいかない

2017年が始まった。
さっそく去年のことを書く。

仲良い友達がいた。付き合いはそこそこ長いが、急激に距離が縮まったのが約半年前。
不安もあった。
距離が近くなるとみんな私から離れていく、という過去ばかり経験してきたから。
結論から言うと、今回も同じパターンになりそう、いや、なったのかな…。
趣味関連の繋がりなので、また会う機会があるけども…。

でもきっと嫌われたのだろう。
私が彼女に依存・執着したせいだと思う。
毎日のようにラインのやりとりをしてた時期があってその時は、依存気質だし距離が近すぎると関係がダメになるという私自身のことも伝えていた。カウンセリング行ってることも。
普通に受け取ってくれたと思っていたけど、実際に甘えたり頼ったりしてしまうとやはり破綻するのだな。

「(私)がやってることは彼氏に対してすることであって友達にすることじゃない」
というようなことを言われた。
それが普通なんだろう。
私は逆に彼氏に依存したことがない…
友達にばかり依存する私は異常なんだろう。

行き着くのは、境界がわからないということ。
ある意味異性相手なら境界がわかりやすいのかも。もしくは依存してはいけないという気持ちが友達より恋人相手の方が強くあって、ブレーキが強力なのか。
いずれにせよ、どちらに対してもブレーキはかけてるのに、不安定になるとどうしてもダメになってしまう。
誰だって不安定になる時はあるだろう。誰かに頼りたくなる時が。
辛い時に助けてくれない人を友達と言えるのか?
普通の人はどうしているのかな、本当にわからない。
頼ったら嫌われたよ。

程度の問題?どの程度で頼るのか。
会いたいと言ったらそんなにダメなのか。
恋人や家族に対してしかダメなの?

恋人いるだけでいいじゃん、て思われそうだが私の場合は全然よくないのである。
同性の友達が重要で。

なんだろう、結局親との関係性が友達恋人関係に反映されている結果か。
会いたかったり話をしたいのは友達。

…というか、友達に嫌われた経緯をまとめたかったんだけども。
次回カウンセリングで報告しなきゃと思って。
しかし振り返ったり正面から見るのが、どうやら出来ないようだ。
未熟を痛感する。

そうだ、
「人との距離が0か100しかないんだね」
とも言われた。
いわゆる白黒思考ってやつかな。
これはそうだなぁと思った。言われてハッキリ自覚した。
そういう指摘をしてくれるのは、まだ見捨てられていないということなんだろうか。

でも年末に会った時はほとんど喋ってくれず、こちらが話しても冷たい反応だった。
あの日は2人で居たのに、ずっと1人だった。
それは苦痛でしかなかったね。
年始も会うけど不安しかない。趣味から離れることも考えている。

同じことを繰り返すのは、もうやめたい。

こう思うのも何度目だろう。

カウンセリング2回目〜無意識下の支配から抜けるのは難しい

12月に入りなんとなくメンタルの調子が悪い。
好きな友達の態度がなんとなく素っ気なくて、避けられているのではないかと落ち込む。
素っ気ない態度をとっているのはむしろ自分の方かもしれない。
わからないけど落ち込む。

カウンセリングに行くのは足が重たかった。辛い作業をしなきゃいけないし。
今回も椅子を使った心理療法だ。

なんとなく調子が悪いのを誰かに相談したいけどできないこと。
それを紐解いて行くと親との関係に行き着き、辛くなって涙が出た。

小学校の頃に転校してうまく馴染めなくて毎日泣いていた時に親に軽く放置されていたこと。
放置…ではないけど。記憶にあるのは一人で泣いていて親は側で見ていた、ということだった。
抱きしめて欲しかった。なぜ見ているだけなのかと。
そういう感情が出てきた。

放っておいた親のそういう部分は嫌だ。
という気持ちを言葉に出してその気落ちを椅子を叩くことでぶつけてみようと言われた。
それはとても難しいことだった。
親を否定してはいけないという気持ちが根深くある、と気づいた。
親も大変だったんだから、私もちゃんと気持ちを伝えられなかったから悪いんだって。
でも私は悪くないよね。そこは親が子供に歩み寄らなきゃダメだよね。
って分かるんだけどなかなか受け入れるのは難しい。
無意識にコントロールされていたような気がする。今も。
言われた通り椅子を叩いてみたが、罪悪感が湧いてきた。すっきりしない。
まだ時間がかかりそうだ。

親を直視できない自分がいる。いつからだっけ。
そういえば直視するのが難しくなっていた。
友達も直視できなくなってきていた。結局そうやって親との関係が友人関係にも響いて行く。

とても疲れた。
恋人にはカウンセリングのことはまだ言えていない。
疲れた…と漏らすとお疲れ様っと言ってくれて、こっそり少し泣いた。
優しい人だし同世代なのに随分大人だ。
なぜ言えないのか。これまた難しい。
恋人関係も友人関係も全て不安である。
勇気を出して友達に最近辛いとLINEで言ってみた。仕事が?と聞かれて返せていない。
漠然と全部が辛いのだけど、これ以上は怖くて言えない自分がいる。
ただただ優しくされたい、慰めて励ましてほしい、ような…。
そんな未熟で子供な自分を見せてしまったら嫌われる、見捨てられると言う思い込みで動けなくなる。
普通の人はどうやって人に頼ったり相談したりするんだろう。
本当にわからない。

カウンセリング1回目〜気づくということ

カウンセリング1回目。
前回は現在の状況やどうしたいかを把握するだけのものだったので、今回から具体的に心理的な作業に入っていく。

一体何をするんだろうという期待と、本当にうまくいくのかという不安と。
その日や前日の精神状態はなんとなくどんよりしていた。漠然とした寂しさ、しんどいなぁという感じ。


やったのはエンプティチェアという椅子を使うものだった。
アダルトチルドレンについて調べていた時になんとなく目に入っていたので、どういうものなのかは少し知っていた。
こんな演技じみたこと私にできるのかなー?本当に効果あるのかなー?と疑いつつスタート。

そしたらビックリ。
涙が止める間もない速さで溢れてきて、もうなんか、止まらなかった。
誰かの前ではもちろん、一人の時でさえ最近泣けてなかったのに。
出会って2回目の人がいる前で泣いていた。
鼻もズルズルだし化粧もほぼ落ちた。化粧薄めにしといてよかった。

私の苦しみ、悲しみ。知らなかった、いや見ようとしなかったり、封じ込めてきたもの。
それらに自分で気づくことができた。インナーチャイルドってやつかな。
気づいたソレに向かって声に出して言葉をかける、ということを何度かするよう言われるんだけども、それはすごく難しかった。
声が出ないんだよね。心の中に言いたい言葉が浮かんだりしても、声に出せない。
特に「寂しかった」「頑張った」というワードは言えなくて。
自分でも驚いた。言うだけなのに。ただ言うだけだよ?
こんな簡単なことができない。涙しか出ないんだよなぁ。
そこでも、どれだけ自分が自分を抑え込んでいるのか気づくことができた。

初めてだし、うまくやる必要はなく、気づくことが本当に大事です。と言われた。
回数を重ねるごとにうまくできて癒しにつながっていくみたい。


よく「自分の感情を眺めて観察する」良い悪いではなくただ見つめるという行為が良いと目にする。
意味はわかるけど抽象的でわかりにくいものだった。でも、今回それをかなり実感できたように思う。こういうことかぁ、と。
そうやって自分の感情に気づき、そこに目を向けると悩む気持ちが遮断されるそうだ。
一人で溜め込み、悶々と悩むことが多いのは、自分の感情を無視していたからかな。


印象に残ったセリフ。
「自分の気持ちを言葉に出すと、それが壁になり自分を守る。」
私は勘違いしていたように思う。
言わないことで自分を守っていると。傷つかないように、嫌われないように自分を抑えることで防御しているつもりだったよ。
真逆じゃん。
外に出すことで、初めて自分を守れるし、強くなるんだ。
これは私にとってはまだ難しいけど、少しずつ意識していこうと思う。
心が強い人は好かれる。
私は必要とされたい願望がすごくある。しかしこんな防御もせずに矢が刺さりまくってるのに気づかないようなやつを誰が頼るというのか。頑張ろう。


カウンセリングが終わった後は、心は結構爽やかな気分になった。
でもかなり疲れたようで、頭痛で体調を崩した。
その後の予定をキャンセルしてしまった。仕方ない。


実はカウンセリング通い始めてさ、今日行ってきたんだー
って今回も言えなかった。

アウトプットが難しい

基本的に自分をさらけ出せないし、自分のことを話すのは難しい。

心の中には色々な考えや感情が湧いてくるのに上手く処理できずに滞留してグルグルして。
やがて沈むのを待つ。

アウトプットするのはいいことだと思う。
誰も知らないこの場所にすら、アウトプットするのは難しい。
何かを恐れている、と思う。わからない。

今日は記事新規作成画面まで辿り着けた。
頑張って書いている。
書いておきたいのだ。公開したいのだ。
インプットばかりではしんどい。
湧いてくる何かを書き散らして放り投げたい。

匿名でも躊躇するレベルの臆病さには辟易する。
とりあえず、難しいということを書けたから良しとするか。

共感し過ぎる

他人に共感し過ぎるのも考えものだ。

子供の頃は母が体調を崩すと自分も崩すことがあり、なんであんたも体調崩すのだと怒られた(?)ことがあった。

人の悩みも、自分の悩みのように感じてしまってしんどいときが結構ある。
近しい友人が最近精神的に少し病んでいる。
特に相談を受けているわけではないのに、私も引きずられてしんどくなっている。
何もできない自分は無価値だなと思う。
とても気にしてしまう。頼られたいと思ってしまう。その子を支配したいのかもしれない。自分勝手だな。
他人と自分の境界線がなかなか引けないところがある。
それはとてもしんどい。
ずっと気にしてて、自分は置き去りだ。
何か役に立ちたい、少しでもラクになってくれないだろうか、どうしたらいいんだろう…。
そうやって、自分の価値を確かめたいのか?
結局自信がないから区別ができなくなるのだろう。
周りからは優しい人だと言われるが、優しくなんて、ないんだよな。

初めてのカウンセリング

自分は愛着障害かもと思った私はとりあえずカウンセリングを受けてみようと思った。

不安が強く、過去に心療内科に通ってみたこともあるが、ほとんど効果は感じられなかった。
まぁ今思えば当然だ。病気じゃなかったというだけ。

検索するとアダルトチルドレン愛着障害を掲げたカウンセラーが見つかったので申し込んだ。申し込むのにも1ヶ月くらい悩んだ…

そして今日、初めて行ってきた。
初回は現状の聞き取りと今後の方針を決めていくとのことだった。
何も考えずに行ったけどカウンセラーさんが上手いこと聞いて行ってくれる流れだった。
さすがという感じ。

それでも自分のことを話すのは難しかった。
記憶があまりないというか曖昧でうまく伝えられない。断片的でもとりあえず言っていく。
頭の中では「別にそんなこと意識してないけど」ということを口走ったりもした。頭と口がバラバラのような感覚。
主に家族関係の話、特に母についての話をしていた。
一瞬泣きそうになる。こらえる。
辛い話をしてても相槌で笑ったり、深刻でないように軽い調子で話したり、してしまう。

60分はあっという間だった。
まぁ初めから気持ちを全部話せるわけないから、こんなもんだろう。緊張してかなり疲れた。
カウンセラーさんは、
愛着形成が上手くいかなかったかもしれないですね。カウンセリングを選択されたのは良かったと思います。
ということで、私が生きやすくなるための手伝いをしてくれるようだ。
カウンセラーさんのビジネスライクな振る舞いは、私を冷静にさせた。
頑張って克服していこうと思える。
ただ、料金を支払う時は若干虚しさがこみあげた。
そのうち慣れるかな。虚しさは、他で埋めないとね。

愛着障害という言葉を知ったこと

アダルトチルドレンという言葉は以前から知っていたが、愛着障害という言葉は初めてだった。
人間関係に悩み、ふと検索したときに出てきたサイトの中で出てきた言葉だ。

愛着障害
乳幼児期に長期的に虐待やネグレクト(放置)などを受け、子どもの頃に得るはずだった他者、特に養育者に対する安全感・安心感を獲得することができなかったために引き起こされる障害の総称。同障害は抑制型と脱抑制型の二つに分類されている。前者は人との関わりにおいて、適切な形で関係を開始したり、反応したりできず、過剰に警戒心を抱き、誰とも親しい関係になれない傾向がある。後者は他者との適度な距離感が理解できず、警戒心なく広範な人間関係を形成しようとして、知らない人に話しかけたり、なれなれしく対応し、その後、過剰にベタベタしたりする。両者とも他者との適切な距離感がとれず、非常に不安定なのが特徴である。

愛着障害(アイチャクショウガイ)とは - コトバンク

他者と適切な距離感が取れないというのは、まさに自分だと思った。
そういうことか。この生き辛さはこれか?

そう思って、愛着障害に関する本を読んだ。

愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)

愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)

…これ私や!となりまくった。衝撃。
カテゴライズされることの妙な安心感。
向き合わなくてはいけない高い壁がはっきり見えた絶望感。

でも総合的にはポジティブだ。克服したい。
本当に愛着障害かどうかはわからない。でもそれにすがる以外救いはないだろう。30歳にして気づいてよかった。本当はもっと早く気づきたかったけど。

上記書籍では、抑制型を回避型、脱抑制型を不安型と書いてあった。
そして回避型と不安型、両方を持つ恐れ・回避型…私はこれだった。
相反する2つのタイプを持っているのだから複雑だ。
人と仲良くなりたい、愛されたい。でも親密になると途端に拒否してしまう。心を閉ざしてしまう。
相手からしたら、なんで?って感じだよね。
そういうことを繰り返してきた。人間関係に悩むたびに「あぁ、まただ」と。
縁が切れると「あぁ、また同じ結果だ。」と。
私自身もなんで?って思う。これから紐解いていく必要がある。